西条柿との出会い
柿壺代表の小松正嗣は兵庫県加古川市生まれ。大学進学で初めて島根県との縁が生まれました。在学中は音楽活動に明け暮れ、その後もプロミュージシャンへの道を突き進みますが、プロミュージシャンへの道は厳しく、27歳の時に夢を諦めて地元に戻りIT関連会社に就職しました。
毎日パソコンに向かいながら、自分の「一生の仕事」について自問自答する日々が続いていた2011年3月、東日本大震災が起きました。
その時参加したボランティア活動の中で、「生きること」に直結した仕事をしたいと強く思い、人間の根源的活動である、「食べる」を担う農業に惹かれました。
しかし、農業の知識や経験が全くない中で、どうすれば農家になれるのかを模索していた時、島根県で酪農をしている大学時代の後輩から「島根の農業を見に来ませんか?」との誘いを受けました。
学生時代を過ごした島根の豊かな自然や仲間との切っても切れない「縁」を感じ、再び島根を訪れました。
島根に戻った季節は「秋」。後輩のお宅で食卓に並んだ西条柿を一口食べ、その美味しさに強い衝撃を受けました。
柿の栽培に適した
「奇跡の地」
柿壺の柿園がある島根県出雲市平田地域は、太古に海から隆起した地形がもたらす南向きの斜面や、柿の栽培に適した重粘度土壌に加え、長い歴史の中で受け継がれてきた柿の優良な品種系統や栽培ノウハウを持ちます。
また、西条柿は中国地方原産の品種であり、中国地方でしかほぼ栽培されていない希少品種です。
西条柿は抜群の糖度を誇る品種で、全国規模の食味コンテストで大賞を獲るなど、その緻密な食感は他に類をみない美味しさと言われています。
柿の最適地と日本一の品種との出会いがもたらした、まさに「奇跡の地」と言えるのです。
柿壺が生まれた訳
そんな柿の奇跡的な産地も生産者の減少という大きな問題に直面しています。「桃栗3年、柿8年」と言うことわざがありますが、柿の木は植えてから成木になるまで長い年月がかかります。
しかし栽培管理ができなくなった柿園は、病害虫の巣窟となるため伐採しなければなりません。長い柿栽培の歴史をもつ平田地域でも生産者の減少により存亡の危機に瀕しています。
そんな中で、奇跡の地で育まれた柿を食べ、その美味しさに驚いた仲間とともに、日本古来の果物である柿を千年先の未来にも残していきたいという想いで、柿壺は生まれました。
代表である小松が柿栽培をスタートした2014年に1.5haだった畑は、2019年に8.5haにまでなりました。
僕らの畑のこと
柿壺にとって柿の木はまるで家族のような存在です。
何千本の柿の木はそれぞれに個性があり、その個性を感じながら適切な栽培管理を行っています。
また、柿の美味しさを決める一番大事な要素となるのが畑の土です。
多様な生態系を維持するために除草剤は一切使用せず、有機質を多く含む堆肥のみを施し、「良い土」とは何なのかを常に模索し続けています。